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畠山直哉

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畠山直哉が語る〈オー・サム〉、崇高なるものとは

写真家の畠山直哉が、風景写真への自らのアプローチを美と崇高さという美的概念に関連づけて語る。畠山にとって興味深い写真には〈オーサム〉、すなわち畏怖を感じさせる光景が欠かせないと言う。

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畠山直哉が語る〈オー・サム〉、崇高なるものとは

畠山直哉

崇高なるもの
2012年8月

畠山直哉:イマヌエル・カントの本を読むと、カントは〈美〉と〈崇高〉という二つの概念を定義しています。サンフランシスコに来てから僕はよく、「オーサム=awesome」という言葉を聞きました。〈オー(awe) ・サム(some)〉、「畏敬」というような意味で、元々は、「崇高」という意味だったのでしょうか。高い山、アルプス、嵐の海、ときには災害、または鯨のような巨大な動物、つまり大きすぎる、広すぎる、非常に危険なものを表す言葉です。たとえば周りの言葉、あちこちの美しい物を見るとします。しかしその美をキャンバス上に描いたり、写真に撮ったりしても、多くの場合あまり面白くありません。なぜでしょう?

美しいもの、たとえば庭の小道、青い空、うっとりと眺める雲、そして花など、それらは、美しいですよね。しかし、山の頂上に立って、アルプスの険しい峰々を見れば、それは美しくはありません。現代人は時には、「なんて美しいのだろう」と言いますが、それは歴史的には違います。そういったものを見ると、突然、自分が世の中でたった一人だと感じます。自分は世界の終わり、世界の果てを見ているのだと感じ、その先にはいったい何があるのかを想像してしまいます。それは〈美〉ではなく〈畏敬〉、オーサムなのです。

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