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荒木経惟

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荒木経惟の「モア・イズ・モア」という写真へのアプローチ

〈写鬼〉荒木経惟が、自由奔放に撮影対象を捉える方法論を語る。完璧を目指すのではなく、ある瞬間に自分が惹かれたものを、雑音も欠点も含めて丸ごと取り込むのが自分のやり方だと。

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荒木経惟の「モア・イズ・モア」という写真へのアプローチ

荒木経惟
2016年3月

荒木経惟:日本語で写鬼、写鬼ね、写真の鬼。写鬼・アラーキー。私は生き方、生きることと写真とおんなじと思ってるから。生まれてからずーっと正座して、静止するもんじゃないっていう人生ね。俺、me? Photo Devil。

インタビュースタッフ:車がパークしているビーピング音が入りましたので、すみませんがもう一回お願いします。

荒木:そんなのやれよ、適当に!もう!録音に限らず、写真でも、雑音とかそういうものが入ってなくちゃだめなのよ。それをね、今までの写真というのはもうとにかくすっきりしよう、すっきりしようって無駄なものを省いていく、フレームアウトするっていうことだからいけない。こう覗いて、これだけ撮ろうって時に余計なものがその時入っちゃったりとか、入ってなかったりとか、そういう関係が、外界と中の関係が、面白いんだから。撮ってる人にとっては。だからそういう雑音、例えば車の音が入ったからやり直しとか、それはダメ。写真にやり直しは無い。その場が勝負なんだよ。その時を、刹那を撮るだけだから。それに従う。それが私の写真観、写真に対しての考え。

要するに完成度を求めない。全て同格だとか、そういうことじゃなくて。それぞれに皆こう色んな魅力を持ってるわけ。花は花、ね?女は女、空は空。それなりにみんな持ってるからね。全部、ぜーんぶこう生きてて惹かれるものは全部それにシャッターを押す。で、今一番いいなと思ったのがこれなんだよ。この画面。これいいよ。イけてるよ。

いつもジョークで言うんだけど、私が女を撮り出したのは生まれて、出てきて、で振り向いて撮った。だって一番好きで気になるものを写真撮りたくなるじゃない。ただそれだけで、何を撮ろうっていうのは、何か感じるものにレンズを向けてシャッター押すだけだから、私の場合は。

最初から天才だって言ってるんだけど、その天才にしてくれたのは女達。女達を撮ることによって私は育てられた。

写真撮ることは、人に限らず、出会うことだから、それをいっぱいこれからね、より、色んなことに出会っていきたい。出会っていこう、なわけです。

インタビュースタッフ:歴史の中で、どういう形で残ることを望んでいますか?

荒木:まあ、なんだかんだ言ってけど、いいかげんだった、面白かったね、っていう位で良いんじゃないんですか?本当に写真が好きで、写真というフレーミングの中で生きた奴だった、て言われるといいな。

インタビュースタッフ:どうもありがとうございます。

荒木:もうね、苦手なんだよ、こういうまじめ風なのは。ねー!

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