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森山大道

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森山大道が語る反乱の時代、日本の60年代

Photographer Daido Moriyama reflects on the rebellious youth culture of late 1960s Japan, a period when he and his colleagues were working on the avant-garde photography magazine Provoke (1968–69). He discusses his attempt to deconstruct the medium in his series Shashin yo sayonara Farewell Photography (1972), though it ultimately deconstructed him.

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森山大道が語る反乱の時代、日本の60年代

森山 大道
『写真よさようなら』
2016年3月

森山大道:僕が横須賀を撮り始めた時期っていうのは、ちょうどベトナム戦争の真っ只中の横須賀ですから、その時期から70年にかけて、日本中が一種政治の季節というか、突出してたの。表現の方も色んなジャンルあるけど、みんなやっぱり、アンチというね、それは自分のジャンルへのアンチ、それから世界へのアンチ、政治的なものへのアンチ、そういうことで皆どのジャンルも、一斉に若い人たちがそれを基にして、なんかこう表現をしていた。

ただ、僕自身はあんまりストレートに政治的な表現、という風にあまりやりたくなかったのね。もう少しこう、日常の中に、色んな反抗する気持ち、批判する気持ちみたいな、日常的にあるんで、そういうものをバネにして、僕は撮ってたと思う。

『プロヴォーク』は元々多木浩二さんという、哲学者でもあるし、評論家でもある人、それと僕の友人で、もうその頃写真を始めてた中平卓馬の2人が元々母体になって作ったんですよね。本当に短い、2年足らずですよね、雑誌を一緒に作ったっていうかね。一番政治的な、過激な時期ですから、日本でいう全学連とか、そういう連中の、それから文化的な表現者のアジトでもあったね、『プロヴォーク』のスペースは。『プロヴォーク』やってる時期はね、ある意味とても過激な集団と見られてたから、半ば嫌われたり、あんまり興味をいわゆる持たれなかった、と思いますね。だけれども政治的な人達にとっては、『プロヴォーク』は認識されてたと思う。で、80年になったあたりから、その頃の若い日本の写真家の中の意識の高い連中は『プロヴォーク』というのを結構意識して、認識して、評価したと思う。

『写真よさようなら』っていう本は僕が作った時に全てのものに、なんかこう、違うと、写真ってもっともっとなんか別なもんだろう、という一旦写真を分解してみたいと、破壊してみたいと過剰に思っていた時期にできてしまった写真ですね。その時くらいまでに、僕自身が撮ってる写真はなんかこう、こんなんじゃない、という風な考え方。それと、その時期の、周辺の、というか日本の写真の在り方に対しても疑問を持ってたし、とにかく、なにもかも全てに疑問を持って、イライラしてた時期なんで。それともう一つは『プロヴォーク』が終わった直後で、なんとかして、いっぺん写真を果てまで連れてってみたいと思ったんですよね。何も写ってない写真入れたり、それから傷だらけの写真は暗室の中でみんなが踏んでる、その気がやっぱりしたから。そういうのを全て一冊にしようと。

あれ作ったらもうとにかく、ほとんどの人はもうこれ全然写真じゃないって認めてくれなかったし、でもそれをやりたかったんで、僕自体はよかったんですね。あの写真を唯一当時褒めてくれたのが荒木さんだけだったね。で、写真は解体されないで、作った自分の方が解体されたみたいな所があるんだよね、その後。それから先、なんか普通に写真を撮るってことができなくなっちゃったから。でもまあ、やっぱり、さよならできないわけで。今思うとあれは若気の至りというかね、という風にも思うけども、でも僕はあれを作ってよかったと思いますね。

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