Interviews

石内都

トランスクリプトを参照トランスクリプトを非表示

石内都―傷とは何か?

Photographer Ishiuchi Miyako discusses the inspiration behind her series Scars (1991–2003), which features closeup pictures of these traces of bodily trauma. She compares scars to old photographs and considers them powerful testaments to a person’s survival.

トランスクリプト

石内都―傷とは何か?

石内都
『Scars』
三月2016

石内都:ここはですね、もう40年位前から両親が建てた家で、2階に暗室があります。
写真を始めたっていうのは、元々私は写真家になりたくて始めたわけではなくて、時間がたくさんあってお金が無いという、そういう時期にたまたまここはちょっと家が広かったものですから、友人の暗室道具の全てをここで預かってました。で、私は写真をやってたわけではなかったんですけれども、一部屋空いてましたので、そこに暗室の道具を入れて、で、何か時間がいっぱいあるからこの辺を撮ってみようかな。

なにか、こう不思議な空間なわけですよ、暗室っていうのは。もうトリップですよ。だから、ね?昼間なのに暗くする、ね?なんか変でしょ?ものを作る所であり、世界が浮かび上がってくる所であり、だから暗室でプリントしてるっていうことは、世界と出会うしね、自分が非常にある種の身体的な、身体的な快感って言ったらちょっと変なんだけど、それに近い感じがありましたね。非常に性的な感じなんだ、暗室って。

そうですね、ずっと写真をやる気がなくて、40歳になって、まあ10年、私は写真をね、やり始めて、個人的なものが全部写真化しちゃったんですね、私。これから先どうしようかって考えた40歳になった時に、40年間の時間というのは一体どこにあるんだろう?要するに私時間をこう撮りたいっていうね、時間を写真に撮りたいっていう意識があって。傷痕っていうのはその人の過去を全部表してるわけですから、写真でもう一回古い写真を撮るような、その様な気持ちで、私は『Scars』というシリーズを始めました。

だから、例えば古い写真にすごく『Scars』は近い。古い写真を見るとみんなこう、あーだ、こーだ、ってある種の物語があって、説明したり、思い出したり、記憶みたいなものが古い写真の中にはぎっしりつまってるわけですね。『Scars』も、まったく古い写真に近いな、と。傷跡があるっていうことは、生き残った、要するに生きてる証拠なわけです、傷っていうのは。傷そのものは今でなくて過去を表してる形で、時間の形。人間が生きて死ぬ、ということも含めて傷を持つってことは生きてる証拠なんです。という風に私は考えてるんで、傷痕そのものを撮ってるわけではないんですよ。傷を受けるその前、みたいなものまでも私は興味があって、で、言ってみてれば生きていくっていうことは傷を受けるっていうことなんですよね。何か、写真ってそういう傷跡を撮ることによって、また、なんだろう、今をはっきり表すことができるんじゃないかなという風にして、傷跡のシリーズは始まりましたね。でも基本的には目に見えない時間みたいなものが写るかもしれないという風にして写真撮っていますね。

もっと見る閉じる

所蔵品 石内都