fbpx

Interviews

石内都

トランスクリプトを参照トランスクリプトを非表示

石内都の横須賀米軍基地の近くで過ごした幼少時代

写真家、石内都が育った横須賀には第二次世界大戦後に作られた米海軍の基地があった。石内が、女性にとって安全ではなかった当時の横須賀での生活、「横須賀ストーリー」シリーズ(1976-1977)の撮影、さらには1970年代の男性優位な写真業界をいかにして生き延びてきたかについて述べる。

トランスクリプト

石内都の横須賀米軍基地の近くで過ごした幼少時代

石内都
駆け出しの頃
2016年3月

石内都: 石内都です。横須賀で育ったわけですね。横須賀では大きなアメリカの基地があった。でやっぱり、アメリカの基地があるっていうことは、すぐ目の前に国境がある。これから向こうがアメリカで、こっちが日本という非常にこう明快に国境がある街で私は大きくなったわけですね。やっぱり横須賀で育ったっていうことは、音楽とか、ジーパンとか、そういうファッションや音楽的なものはすごくプラスに影響はしていますけれども、自分が女性であることに関しては、やっぱり基地の街っていうのは、なんか妙にこう精液の匂いみたいなものが漂ってきていて。だから女は歩いてはいけない通りがある街なんですよ。それはなぜかというと女の子が歩くと強姦されてしまう。そういう強姦事件というのも日常茶飯事にあって、自分が女性である、ということを横須賀の基地が教えてくれた、という意味において、とっても私にとってはある種の傷ですよね。みたいなものを持った街として横須賀っていう街がありました。

私のデビュー作は『横須賀ストーリー』。横須賀撮るのは、多分私にしか撮れないんではないかという自負の下に横須賀を撮って、まずそれからスタートしようか、という形で始めました。とりあえず写真を撮ろう。で、写真でキチッと自分の過去を目で見るみたいなね、要するにプライベートな自分の、なんだろう、思い?みたいな、自分の記憶みたいなね、そういうものをもう一回キチッと定着するには写真というのが一番適してるな、という感じがあって。やっぱり私は横須賀という街から色んなこと、感情の全てを私は横須賀の街から受けてますから、それを撮らないと先に進めない。

『エンドレス・ナイト』というのは『横須賀ストーリー』を撮ってる時に出会った街なんですね。通学路に赤線地帯があったんですよ。で、子供心に一体これはなんだろう、ってすごく興味を持ったことがあって。自分の体がお金になる、ということの意味。ねえ、それはやっぱり、女の体の価値、っていうことは、やはり考えましたね、確か『エンドレス・ナイト』の時は。ただそれは女性の写真家だからっていうことよりも、もっと根本的な、要するに女性の機能みたいな、部分として持たされちゃってる自分というのをやっぱり考えざるを得ない、ということが『エンドレス・ナイト』にありました。でもね、私が要するに表現する一つの要素としてはいつもあるわけですよ、リブ的なものがね。だから女が表現するっていうことは社会的にはまだまだちゃんと認められてないわけね。で、それに対して戦うとかではなくて、それをもめげずやるしかないわけですよ。自分のことをキチッとやることによってしか変わりようがないのね。だから私はすごーく恐い、強い女として思われてるわけ。会うと別になんてことないんだけど。でもそういうイメージは必要なんですよ、社会に対しては。やっぱりどう考えったってまだ男の社会でしかないわけで、その中で生き抜くっていうことはやっぱ自分をガードしなきゃいけない。やっぱり、うーんなんだろう、まあ昔に比べて女性の写真家が増えてますけども、でも環境はあまり変わってないんですよ、現実的に。その中でどうするかっていうことは、自分の筋を通して自分で生きていくことを、ずっと私はやってきただけで、それがリブ的なことも含めてありますけれども、私は石内都っていう生き方をしてるだけなんですよ。

もっと見る閉じる

所蔵品 石内都