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土田ヒロミ

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土田ヒロミー日本の過去と現在を記録する

写真家、土田ヒロミが1960年代後半以降の日本の社会的、政治的、経済的変化を記録してきた活動について語る。農村の伝統や文化的表現に注目して撮影をした初期から、急速に変貌を遂げる都市生活を記録した後期まで、作品の変遷を振り返る。

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土田ヒロミー日本の過去と現在を記録する

土田ヒロミ
2016年3月

土田ヒロミ:1970年代に本格的に写真を始めましたけども、1970年というのは、ある意味ではとても政治的な時代でしたし、経済的な激変があったり、過去を切り捨てるようなですね、そういう時代だったと思うんですけれども、それにあえて抵抗すると申しますかね、自分をこう、作り上げてる文化みたいなものを見直さなくちゃいけない、という風に思いまして、自分の生まれ育った環境という様なもの、ある意味で土俗的なそういう日本の少し時代を遡るような感じで自分を考えてみようと思って撮ったシリーズですね。もう一回古い日本を見てみよう、というようなことを意識的にやったかもしれませんね、私は。

あの『俗神』のシリーズは、そういう正式なセレモニーの場所に取材に行きながら、実はセレモニーそれ自身というよりもむしろそれに参加する人たちを撮ったというシリーズですね。この写真は『俗神』のシリーズを撮ろうという風に決断した最初の写真と言って良いと思いますね。で、写ってる内容は、山奥の小さな村のお正月の行事です。家の中に行われている行事、セレモニーを撮ってたんですけども、後ろを振り返って見たら、ああいう野原の所で、村人が騒いでる様子があったので、共に遊ぶような感じで、こうフレンドリーに前に進んだっていう感じですか、うん。花見の群衆を撮りに行ったんですけれども、桜などは全然写ってないんですね。とても美しい女性がいたもんですから、アプローチして撮ってる時に、隣から、「俺も一緒に撮れ」ということで、これでいいのか?という感じでですね、アプローチしてきたというか。あの下にいる男は私自身です、というとそれはちょっと嘘ですけれども、あのーまあ、日本の男と女の関係みたいなものがちょっと写ってるかもしれません。どこかで女性に甘える、という、そういう日本人の男性の特性が写ってるかもしれませんけども。カメラを向けることで、対象はより一層自分を表現したくなる、という、そういう反応をするということをこちらの方から導くと申しますか、そのことが大事なんじゃないかと思いますね、写真家にとって。

『俗神』を撮り終えてから、都市の中の群衆を撮って行くことになったんですね。日本の高度成長経済の中で、ある群れがですね、同じ方向にこう向かって歩いて行くって言いますか、同じ方向に向かって行動してる、それを撮ろうと思って『砂を数える』を撮りました。

経済的な意味で言えば、高度成長経済が終わって、それぞれがお互いに同じように行動していれば、自分が幸せになるか、っていうことが確信できなくなった時代だと思います。非常にこう個別的になっていくっていうことがありまして、人と人との距離がちょっと現れている。そして、その方向性、ベクトルも割と多様だったりするんですけども、そして、群衆そのものが少し変わってきたんですね。20世紀から21世紀の間に起きたことの大きさが現れるって言えると思うんですけども、僕自身のライフワークは日本の文化、と申しますか、日本人を一体何なんだろうか、と考えていく時に、時代と共に日本人はどこかで変わっていきますけども、そういう日本をドキュメントしたいっていう意識が強くあるんですけれども、撮ってるときはそれ程自覚的ではないんですけどね。

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所蔵品 土田ヒロミ