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細江英公

写真家、細江英公が写真集『鎌鼬』(1969年)について、またそれが現実の生活をいかにドラマティックに写し出したかについて論じる。この本に記録された前衛パフォーマンスとそのスターであった土方巽、そして当時主流であった他の写真家たちのリアリズムに対して鎌鼬がどのように呼応したのかを考察する。

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細江英公ー写真は真実を語るか?

写真家、細江英公が写真集『鎌鼬』(1969年)について、またそれが現実の生活をいかにドラマティックに写し出したかについて論じる。この本に記録された前衛パフォーマンスとそのスターであった土方巽、そして当時主流であった他の写真家たちのリアリズムに対して鎌鼬がどのように呼応したのかを考察する。

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細江英公―写真は真実を語るか?

細江英公
2016年3月

写真はどれもリアルに見えますが、本当にリアルなのでしょうか。フォトグラフィーを日本語では〈写真〉と言います。写真、それはリアルに見えますが、リアルではありません。〈写〉した〈真〉実なのです。

〈かまいたち〉は想像上の動物です。〈かま〉は〈鎌〉、〈いたち〉は〈鼬〉。そこにはユーモア…とはいっても安全なユーモアではなく、危険なユーモアのニュアンスがあります。《鎌鼬》の〈いたち〉には、人を襲うという響きがあります。

土方巽は私の最も親しい友人でした。彼は〈ブトー〉という言葉を創りました。この〈舞踏〉自体は、一般的な日本語です。日本のブトーはダンスのひとつの形態ですが、このように身体をコントロールはしません。タ、タ、タ、ステップ、ステップ、ステップ…そう、バレエやアメリカのモダンダンスの動きとは違って、もっと日本的なコントロールされた動きです。

土方に、彼の生まれ故郷で写真を撮りたいと言ったんですね。私は、彼自身が鎌鼬(かまいたち)ではないかと感じました。彼にはそんなムードが、雰囲気がありました。彼は天才、天才的な踊り手ですが、バレエ・ダンサーのようではありません。エレガントという感じはまったくありません。見ている人を怖がらせ、常軌を逸したことをやったし、ユーモラスなこともやった。それで、村人たちはみんな笑い、そして場が和むのです。村は私にとってドラマチックな舞台だった。そこの人たちは、俳優であり、女優であり、そして土方自身は、そういった普通の俳優や女優に囲まれたスターだったのです。

当時はリアリズムの時代でした。日本全体がリアリズムでね。リアリズムは日本全国に普及され、私のリアリズムは、〈細江英公リアリズム〉であり、私はその反対側にいました。カメラを通して、自分のイメージを表現することはできます。表面上はリアルに見えますが、カメラを通して、実は自分の作品を作り上げなければならない。写真は単に物理的な動きの産物ではなく、心理的な作品です。なぜならカメラを扱って、操作するのは人間だからです。

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