ここに写る役者は、年老いた男の顔と少年のようにしなやかな体を持ち合わせている。彼の謎めいた雰囲気を、当時の森山作品に特徴的なハイコントラストな現像が際立たせており、それにより光を発しているかのような背後の白いパネルが、被写体の身につけている黒い革ジャケットを輝かせている。この光によって周りから孤立して浮かび上がる彼の顔は、頭にぴったりと密着した頭蓋帽と写真のフレームの外へと向けられた眼差しによって、より一層距離を隔てて存在しているように見える。おそらく彼は、東京、北千住に伝統演劇の舞台を構えていた小劇場の役者ではなく、アングラ演劇の劇団員だろう。森山はこの時期、両方のタイプの役者たちを撮影しており、それらの作品は彼の初の写真集『にっぽん劇場写真帖』(1968年)に収録されている。
森山の主題の多くがそうであるように、この役者は実存する人物であると同時に、隠喩的な存在でもある。役者は戦前の孤立した伝統ある日本と、この写真が撮られた1960年代の極めて曖昧な近代性の両方に属している。時代の不透明性は、日本のみならず国際的に見られた現象であった。アメリカでは、ジョン・F・ケネディの暗殺、公民権運動に端を発した数々の紛争、ベトナム戦争、学生騒動など、暴力的な出来事が多発した。これに次いで日本国民は、アメリカとの緊迫した政治的関係を強いられる中で、倫理的方向性を見失っていたのである。日本は、第二次世界大戦で複数の都市・地域を凄まじく破壊され、多数の人命を奪われながらも、戦後は彼らを負かしたアメリカとの緊密な協力関係を保つことによって生き延びることができたと言える。 1960年代に入るころには、アメリカはこの日本との関係性を大いに利用するようになっていた。日本が自ら戦争を引き起こす権利を剥奪しておきながら、アメリカはベトナム戦争を続行するために、日本に点在する基地を使用した。その一方で、アメリカとの軍需契約により繁栄を手にした日本は、コンクリート住宅や近代的な幹線道路の建設により国の再建を実現していた。フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルが説いた実存的危機は、三島由紀夫や彼と同時代の日本人作家たちの共感を呼んだ。森山が捉えた、まるでフレームの中に奇妙なかたちで閉じ込められてしまったようなこの人物も、サルトルの思想を反映しているかのようである。当時、森山にとって最も近しい友人で、フランスの急進主義や実存主義的思想に深く傾倒していた中平卓馬は、1968年、大きな影響を残しながらも短命に終わった同人誌『プロヴォーク』を創刊し、森山の作品も掲載した。中平と森山はともに、写真特有の言語の探求に全力を投じた。彼らにとって写真は、当時の日本を取り巻いていた不穏さ、不透明性、闇といったものを表現する手段でもあったのだ。
十文字素子 訳