写真家
畠山直哉
日本
岩手県陸前高田市出身

所蔵品 畠山直哉
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Naoya Hatakeyama
Lime Hills #15318
1987, printed 2002 -
Naoya Hatakeyama
Lime Hills #23514
1988, printed 2002 -
Naoya Hatakeyama
Lime Hills #29214
1990 -
Naoya Hatakeyama
Ciel Tombé #219
1991, printed 2011 -
Naoya Hatakeyama
Maquettes / Light #3011
1995 -
Naoya Hatakeyama
CAMERA
1995-2009 -
Naoya Hatakeyama
Blast #00417
1995, printed 2013 -
Naoya Hatakeyama
Blast #00417
1995, printed 2013 -
Naoya Hatakeyama
Blast #00417
1995, printed 2013
エッセイとアーティストトーク
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アーティストトーク
僕の作品について2022年 2月
写真は、外在する事実の〈確かさ〉を教えてくれるものであると同時に、事実が僕たちの思考の内部に取り込まれる時の〈不確かさ〉を教えてくれるものでもあります。単なる情報として写真を見るなら、そこには何の変化もありません。でも、僕たちの精神は、日々変化し続けています。写真を見る人間の精神の変化に応じて、一枚の写真の意味合いも変化して当然です。僕の話のあとでも、多分それが起こるでしょう。願わくは、それが〈つまらない変化〉ではなく〈よい変化〉でありますように。 さて、ここに来る前に、PhotoAllianceのウェブサイトを拝見しました。そこには僕のトークに関しての告知があり、その文章の中では「我々が暮す自然風景と人工風景の中で起こる様々な変化との関係」という言葉が印象的でした。ここにも〈変化〉という言葉があります。それから〈風景(ランドスケープ)〉という言葉があります。それから〈自然〉という言葉と〈人工〉という言葉があります。それから〈暮す〉という言葉。これらの5つの言葉は、実によく僕の関心を表してくれていると思いました。 今日は僕の写真を見ながら、これらの言葉について考えることになると思います。それにもう一つ忘れずに、大事な言葉を付け加えるとしたら、もちろん〈写真〉という言葉でしょうか。〈変化〉〈自然〉〈人工〉〈風景〉〈暮す〉。いったいこれらの言葉と、僕たちの関心事である〈写真〉という言葉はどう交差するのか。 この一枚の下手くそな油絵は、僕が17歳の頃に描いたものです(図1)。美術に対しての関心が、なぜかは分かりませんが、高校生の頃、僕の内部で急に高まったのです。僕は日本の4つの大きな島のうち、本州と呼ばれる一番大きな島の北に位置する岩手県というところで生まれました。「岩手」は英語だと「rock(石)」と「hand(手)」という、変わった意味の地名で、鬼が神様の前で「もう悪いことはしないから」と岩に自分の手形を押して約束した、という言い伝えが、地名のもとになっているという話があります。その地名のせいかどうかは分かりませんが、僕は子供の頃から柔らかいものよりは硬いものの方が好きで、岩石や金属の方を、動物や植物よりも好むところがありました。高校に通う道で、毎日眺めていたセメント工場を、僕は生まれて初めてキャンバスに油絵の具で絵を描く時の題材として選んだのです。僕はその後、1979年に筑波大学という東京から60キロ北にある大学の芸術学部に入り、そこで大辻清司という素晴らしい先生に会って、写真に興味を持つようになったのですが、その頃の話や大辻先生個人について話を始めると時間が足りなくなりそうなので、学生生活を終わって東京で暮らし始めてからの話に移ろうと思います。 ただその前に、一つだけ言っておきたいことは、僕が学校で写真を学んだ時期に、日本におけるアメリカの写真の影響力は巨大であった、ということです。写真の最初の授業で、大辻先生が学生に紹介してくれたのは、リー・フリードランダーの仕事だったことを、今でもよく覚えています。当時の日本では、70年代からアメリカで積極的に展開されていた新しいドキュメンタリー写真、新しい風景写真、新しいカラー写真、新しい評論など、多くの新鮮な写真表現が伝えられており、写真を学ぶ多くの若者に、様々な刺激を与えていました。 中でも、特に日本の若い世代に影響を与えたのは、それほど特別な出来事が起きている訳でもない、自分の日常生活や日常風景に向かって、堂々とシャッターを切る、という何人かのアメリカの写真家の態度だったでしょう。写真を撮るために特別な場所に出か けたり、特別な人間に会ったりする必要はない。今ここ、自分の目の前にあるものに向かってシャッターを切ればよい。それらの写真はそういっているように見えました。それらの写真は、現実世界ではなんでもない光景が、写真に撮られることで特別なものになる、という不思議さを僕たちに教えてくれていたのです。若い世代を中心に、その後〈なんでもない写真〉が膨大に撮られる、という事態が生まれ、それを上の世代は「コンテンポラリー(現代)」という言葉を省略し、「コンポラ写真」と呼んで、訝しんだものです。
関連の展覧会
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Photography Now
China, Japan, Korea
September 12–December 20, 2009
Drawn entirely from SFMOMA’s collection, Photography Now showcases pictures by nearly 30 contemporary artists working in China, Japan, and Korea. Documentary work from China depicts a shifting culture, in particular rapid urbanization and the effects of industrialization on society. Inspired by Robert Frank, Luo Dan journeyed from Shanghai to Tibet, making pictures that explore dramatic economic changes across China. In Japan, Rinko Kawauchi makes lyrical pictures that focus on the poetic details of daily life, and Yasumasa Morimura examines the nature of cultural identity through appropriation. Korean photographer Bohnchang Koo’s minimal photographs of ordinary architectural elements reflect upon the passage of time.
This exhibition is organized by the San Francisco Museum of Modern Art and is generously supported by the E. Rhodes and Leona B. Carpenter Foundation.
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